介護の現場に生きて、レンズを向け続ける理由
STORY
介護職26年目の俺が、それでも現場にカメラを向け続ける理由
俺は、もう26年ずっと介護現場にいる。
介護福祉士として働きながら、今は「介護系の動画制作」と「web制作」まで始めてしまった、ちょっと欲張りな介護職だ。
きっかけは、「この景色を、ちゃんと残したい」と思ったことだった。
何気ない朝の送迎。デイに着いたときの「おはよう」の声。
機能訓練の合間に見せてくれる、ふとした笑顔。
それらは全部、その日その瞬間だけのもので、明日にはもう二度と同じ形では戻ってこない。
だけど現場は、忙しさに追われている。
職員は目の前の利用者さんを支えることで精一杯で、
「この瞬間を作品として残す」という余裕なんて、ほとんどない。
だったら俺がやろう。そう思って、カメラを持ち始めた。
介護は、ただの“仕事”じゃなくて「物語」「アート」だと思う
26年も現場にいると、嬉しい別れもあれば、悔しい別れもある。
「もっとこうしてあげられたかもしれない」と自分を責めた夜もあるし、
利用者さんの一言に救われて、こっそりバックヤードで泣いた日もある。
介護の現場には、教科書には載っていない「物語」が毎日生まれている。
でも、そのほとんどは記録にも残らず、誰にも知られないまま消えていく。
もったいない。
それって、ものすごく“もったいない”ことなんじゃないかと、いつも思っていた。
僕がカメラを回すのは、
「介護って、こんなに美しくて、あたたかくて、カッコいいんだ」
ということを、ちゃんと形に残したいからだ。
現場の手ざわりごと、そのままアートとして届けたいからだ。
現場を知っている人間が撮るからこそ、伝えられる温度がある
映像だけが仕事のクリエイターだったら、きっと撮れない瞬間がある。
「ここでカメラを向けてはいけない」と分かるライン。
あえて引くべきタイミング。
逆に、現場の人間だからこそ「ここは絶対に残しておくべきだ」と感じる瞬間もある。
例えば、靴を履くのに5分かかる利用者さんがいるとする。
ただの“モタモタ”に見えるかもしれない。
でも、その5分には、機能訓練で積み重ねてきた日々や、
「自分の力で立ち上がりたい」というその人の意地や誇りが、ぎゅっと詰まっている。
僕はそこにカメラを向けたい。
「すごい技術」よりも、「その人らしさ」がにじみ出る瞬間を撮りたい。
現場で汗をかいてきた介護職だからこそ、切り取りたい画がある。
映像とWEBで、介護のイメージを塗り替えたい
正直に言うと、介護のイメージはまだまだ暗い。
きつい・汚い・給料安い──そんな言葉ばかりが先に立つ。
でも、現場にいる僕たちは知っている。
「それだけじゃない」と。
利用者さんと大笑いした日もある。
一緒に涙を流した日もある。
「あなたで良かった」と言われて、震えるほど嬉しかった日もある。
その一つひとつを、映像やWEBでちゃんと見える形にしたい。
ショートムービーで“今日の空気感”を切り取る。
ギャラリーで作品として並べる。
ブログで物語として語り直す。
その積み重ねで、介護のイメージは必ず変わると信じている。
26年目の今も、僕が現場に立ち続ける理由
もしかしたら、映像だけ、WEBだけに集中した方が、
仕事としては効率がいいのかもしれない。
それでも僕が現場に立ち続けるのは、
「介護は、誰かの人生そのもの」だと分かっているからだ。
その人の人生のラストシーンに立ち会うこともある。
家族以上に深く関わることもある。
その現場に身を置いたまま、カメラとパソコンを握っていたい。
介護の「泥くささ」と「美しさ」の両方を知っている人間として、
ちゃんと伝える役目を果たしたい。
介護職26年。
気づけば、僕の人生そのものも「介護の物語」になっていた。
ここから先のページも、まだまだ続いていく。
その途中経過を、こうしてレポート用紙みたいな画面に、
ひと文字ずつ刻んでいけたらと思う。
この物語を、どこかの誰かが読んで、
「介護って、ちょっと面白そうだな」と思ってくれたら。
それだけで、この文章を書いた意味は十分すぎるくらいある。