ありがとう 楽しかった──
涙で送った最期の朝。
亡くなる3日前までデイサービスに来ていた五十三歳男性。
その人が迎えた“最期の朝”は、涙が溢れて止まらない、静かで深い時間だった。
デイサービス最終日から、わずか3日後
あの日、「今日は楽しかったです」と言った帰り道が、 まさか本人にとって最後の登所になるとは、誰も思っていなかった。
翌日、彼はほとんど起き上がれなかった。
呼吸は浅く、胸の上下が弱くなる。
訪問診療の先生に連絡を入れると、落ち着いた声でこう言った。
苦しいと言えない人だから……そばにいてあげてください。」
医師が“我慢強い人”と言ったとき、胸が痛んだ。
これまで何度も無理をして、最後まで「大丈夫」と言い続けた人だった。
最期の朝、まだ少しだけ目を開けられた
朝日がカーテンの隙間から入る頃。 彼は薄く目を開け、天井を見た。
その声は、今まで聞いた中で一番弱かった。 でも、一番まっすぐだった。
手を握ると、指がかすかに返ってきた。 握り返す力はほとんどないのに、その温もりだけが確かだった。
スタッフが一人、また一人と部屋に来た
デイサービスのスタッフに連絡をすると、 仕事終わりの職員、休みの職員まで、 一人、また一人と部屋を訪れた。
いつも笑わせてくれていた職員は、彼の手を握りながら涙をこぼした。
いつも優しく声をかけていた職員は、 何も言えず、ただうつむいて泣いていた。
彼はそんなスタッフを見て、少しだけ笑ったように見えた。
その一言が、部屋の空気を変えた。 誰もが泣きながら笑った。 その言葉は、ここまでの数ヶ月すべてが報われた瞬間だった。
静かに近づく“別れ”
訪問診療の先生が到着し、呼吸と脈を確認した。
先生はいつも通り落ち着いていたが、
その目の奥に少しだけ光るものがあった。
男性の呼吸は、だんだん深さを失い、 ひとつひとつが静かになっていった。
最後の一呼吸
そのとき、彼はわずかに目を開け、 天井でもなく、窓でもなく、 私たちスタッフのほうを見た。
その瞬間、部屋の空気がゆっくりと揺れた。 時間が止まったような静けさだった。
そして、呼吸はふっと、 静かに、ほどけるように止まった。
利用者も、スタッフも、訪問診療の先生も、私も、 全員が泣いていた。
その言葉の意味
最後の言葉「ありがとう 楽しかった」。
それは大げさな別れの言葉ではなく、
彼が過ごしてきた“日常”そのものを指していたのだと思う。
デイサービスで笑った日。 赤鬼を作った日。 深夜に電話をくれた日。 兄と再会した日。 そして、しんどくても来続けた最後の3日前。
その全部を思い出して、 彼は“楽しかった”と言ったのだろう。
涙と、安心と、静けさと、感謝が同時にそこにある。
たくさんの後悔を抱えながら、
たくさんの優しさを周りに残して、
一人の男性は静かに旅立っていった。
—— ありがとう 楽しかった。
その一言は、今もWEB ART STORIESに残り続けている。
WEB ART STORIES 編集室

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